ベッド、机、本棚と三カ所に置かれた目覚まし時計が一斉に鳴り響き目が覚める。一つ一つを止めながら、このまま布団へ戻ったら今日はどうなるのだろうかと考える。

常温の水をコップ一杯飲み干し、ヤカンを火にかける。お湯が沸くまでの間に煙草を吸いながら、本当に今日も行かなければならないのだろうかと考える。コーヒーをいれ、二本目に火をつける頃には意識もはっきりとしてくるが、やはり今日も僕は行くのだろうかと考える。
熱めのシャワーを頭から浴び、目を閉じてしばらくじっとする。その間にも、風呂から上がってそのまま布団へ戻ったら今日はどうなるのだろうかと考える。
胃袋はまだ何も受け付けないが、食べないと昼までもたないため、ふやけたコーンフレークを流し込む。もう一眠りして、9時頃においしい朝食を食べに行ったら僕はどうなるのだろうかと考える。
食後にもう一服しながら、やはり今日こそ行くのをやめようという考えが強くなる。今日でも明日でも来週でも来月でも結果は同じなのだから。
決断することが出来ず、歯磨きを始めると強い敗北感に襲われる。気持ちとは関係なく体が動いているような感覚に陥る。
服を着替え、持ち物を確認し、全ての準備が整ったところでさらにもう一服。なぜ僕はこんな服を着ているのだろうかと考える。
玄関のドアを開けるといつも気持ちが良いと感じる。しかし、向かう先のことを考えるとそれも長くは続かない。駅とは逆方向に歩いたら今日はどんな日になるのだろうかと考えながらも、足は迷うことなくいつもの道を進む。
駅まで着いてしまえば、あとは人の流れに沿って電車に乗るだけなので然程難しくはない。しかし、いつもの駅を乗り過ごしたら今日はどんな一日になるのだろうかと考える。
地下鉄の駅から地上へ出ると、やはり気持ちが良いと感じる。目的地のビルが見える頃には、あれだけ揺さぶりをかけてきた僕の心は静かになっている。
これと全く同じ朝が、後10000日程あった。

冬季休暇の予定

上野から約三時間。ドアの開閉が手動に切り替わると、如何にも非日常に足を踏み入れたかのように思えた。開閉ボタンなどという代物はまだまだ都会の象徴だ。電車は「プシュ」と短い音を立て、まるで極度の緊張から解き放たれた人が肩をなで下ろすようにドアを緩める。それを自分で開けて乗り降りするわけだ。忘れて降りる人がいれば、軍手を二重にはめた老人が少し不機嫌にドアを閉める。私は自分が降りる時まで、この一連の動作を覚えていることが出来るだろうか。そう思った直後には、もう新たな非日常を窓の外に見出していた。各家の裏や勝手口の横には薪が積まれていた。しかし、それを除いては如何にもありふれた光景だ。大量生産されたパネルを数時間で組み立てたような住宅から、これまた飾りのような煙突が突き出ている。あれではサンタクロースも通れまい。暖炉のある家は、如何にも暖炉がありそうな家でなければならない。その如何にも暖炉がありそうな家とは一体何なのか。私はまた、一貫性に対する強い執着心が思考を停止させていることに気が付いた。徐々に住宅がまばらになり、頻繁にトンネルを通過するようになった。仕方なく車内に目を向けると、私の興味は部活終わりの高校生たちへと移った。サッカー部であろう男子はなぜ、皆同じようなネックウォーマーをしているのか。野球部であろう男子はなぜ、皆中年男性のように足を広げているのだろうか。テニスラケットを背負った女子が赤本を広げている。なかなか渋い大学を受けるもんだ。果たして各学年にはいくつクラスがあるのだろうか。車内の学生は全員知り合いなのかもしれない。彼らの多くは私の目的地の二つ手前で降りていった。

電車を見送ると、ホームには私と腰の曲がった老婆の二人だけが取り残された。年寄りの持つビニール袋は往々にしてしわくちゃなのは何故だろうか。改札に駅員はいない。持て余してしまった切符をペラペラと弾きながらタクシーを探したが、何処にもいなかった。仕方なく改札付近に戻ると、掲示板にはタクシー会社の連絡先が二つ貼りだされている。その土地の名を冠した方にしようと思ったが、電話番号が擦り切れて読めなかった。仕方なくもう片方に掛ける。こちらが「もしもし」と言う間もなく「駅ですかね?」と気怠そうな声が聞こえてきた。宿までは二十分程であったが、妙にその土地を卑下する運転手に好感は持てなかった。膝をついて出迎える宿の女将に、その日一番の非日常性を見出したような気がした。夕食までは二時間程あったので、他にすることもなく風呂へと向かう。平日であるためか、私以外には誰もいない。他に宿泊客がいるのかすら怪しいような気がしていた。それにしてもあの、お湯の効能を解説するパネルは必要なのだろうか。神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、そして疲労回復。お湯の効能ではなく、湯に浸かる効能ではないかと思いながらも、他に景色という景色もなくそれを眺め続けた。ロビー(旅館の場合、ここは何と呼べば良いのだろうか。受付、ラウンジ、広間)へ戻ると、小さな本棚が目についた。その土地に縁のある文学を揃えているようだ。文豪気取りと思われないだろうかと急いで浴衣の袖から手を出した。受付で「自家焙煎」コーヒーを注文し、火鉢の前に席を取る。火鉢の上に置かれた、急須とヤカンの中間のような物体の名称が思い出せず、不本意ではあるが携帯電話を取り出した。なんだ「土瓶」か。携帯電話での調べ物は、何故これほどまでに無感動なのだろうか。答を知った途端にどうでも良くなってしまう。コーヒーを持ってきた女将に、到着した時のような愛想はなかった。湯加減でも聞いてくれたら良いだろうに。自慢のコーヒーに植物性のフレッシュを付ける、そのいい加減さが妙に気に入った。何事も難しく考える必要はないのだろう。プラスチックのステアを折れない程度に曲げては放し、手の甲に打ち付けた。しかし、コーヒーと和菓子の組み合わせは好きになれない。何だろうかあのコーヒーの酸味を限界まで引き出そうとする食べ物は。和菓子には手を付けず、浴衣の袖から煙草を取り出した。相変わらず私の他に客はおらず、煙草を吸うには有難いことだった。

特に驚くべきことではないが、夕食のメインは刺し身だ。しかし、遠く内陸の土地に来てまで刺し身を食べたいと誰が思うのだろうか。一切れのサーモンはどれほどの距離を経て今、私の目の前にあるのか。「サーモンは獲れて直ぐに冷凍するんだよ。それで寄生虫を殺すんだ」北海道の漁港で、見知らぬおやじから聞いた話を思い出していた。川魚と山菜の天ぷら、こういうところにこそ「自家栽培」の野菜が欲しい。土地の食べ物がなければ、土地の酒を飲むこともないだろう。日本酒はあまり好きではない。小さなベルがお櫃の隣に置かれていた。人をベルで呼びつけるのは何だか気が引けるが、よく考えれば居酒屋でボタンを押すのと然程変わりのないことだ。「ビールは何ですか」答はわかっているが一応尋ねる。「ヱビスになります」ちょっと贅沢な旅に相応しいだろう、と言わんばかりの恵比寿様の得意気な顔が癪に障る。結局、ビールも半分ほど残し部屋へ戻ることにした。かばんから文庫本を取り出しぱらぱらとめくるが、はなから読む気はなかった。自宅の本棚からこれを選んだ時の気持ちを思い出そうとしていた。冬、山、温泉、旅館、電車、似つかわしいものを選ぼうとしただろう。一方で、その本を読む自分の姿を客観的に想像したはずだ。私にとっては結局、後者が全てだ。あらゆるものを振り切ろうと出掛けたは良いが、自意識だけはどうにもならない。自意識過剰に効く温泉はないだろうか、無意識の内にまた携帯電話を取り出していた。検索をやめ、飛行機モードに切り替える。眠くはないが、布団に入った。旅先でシーツとシーツの間に寝るのは嫌いだ。清潔なのは有難いが、どこか不自然な気がしてならない。ビニール手袋をした手で握られたおにぎりのような感じだ。まったくひどい例えではあるが。ああ、もう帰ろう。朝食を食べたら観光もせずに帰るんだ。突発的な行動をする自分に酔い始めたのか、真面目にホームシックを発症しているのか、この際どうでも良いのだ。

少し早いような気もするが、予想に反してウケなかった今年のツイートを紹介していくぜ

 

 新年2日目にしてこのありさま

 

 皆さんが黒歴史好きだって言うから勇気を出して書いたのに

 

 こういうシンプルなやつを量産していきたい

 

 今年は留学生ネタが多かった

 

 ふむ

 

 パクリだしまあ仕方ないね

 

 そろそろ自分の文章力に不安を感じる

 

 留学生のユーモアであり俺のではない

 

 ここまで全力を出して滑ると清々しい

 

 これ結局どうなっているの

 

 まあね

 

 絶不調 急下降 冷えきったハート

 

 

 

 

『転々』という映画をご存知ですか。

三浦友和オダギリジョーがなんやかんやあって、東京の下町を散歩するというものです。その中で、三浦友和が個人経営の時計屋はちゃんとやっていけるのか、と疑問を持つシーンが有りましてね。店の前でオダギリジョーにそんな疑問をぶつけていると、時計屋の亭主が出てくるものですから、三浦友和は「どうやって生活しているのですか」とかなんとか聞いてしまうわけです。すると、亭主は「お前には関係ないだろ」と激怒し、二人を追い掛け回し、すったもんだがあるといった具合です。

なぜこんな話をしているのかというと、Twitterでは非日常を、Instagramでは優雅な日常を演出する皆さまを見ると、はてどうやって生計を立てているのだろうか、と思わずにはいられないからです。

かといって、本当に皆さまがどのように生活されているのか知りたいと思うわけではございません。言うまでもなく、野暮、野暮、そして野暮なのです。それは、ヤンキーに優しくされた時のような、アイドルのプライベートに遭遇した時のような、芸術家の非芸術的な性癖を知った時のような、下手な例えはこの辺にしまして、まあ拍子抜けしてしまうでしょう。知らないほうが良いことばかりなのです。

 Facebookが良い例ですが、実際の人柄を知っているが故に、その投稿で何を見せ、何を隠そうとしているのか、魂胆が丸見えなわけですね。そりゃ「いいね!」なんて出来ませんよね。

まあそんなところございます。流したい情報を流し、拾いたい人がそれを拾うだけのことです。

社会科学に興味を持ったからには、就活生の常套句ではありませんが「社会のために」みたいな志があったわけです僕にも。誤解のないように言っておくと、社会科学が直接世のため人のためになるとは思いませんよ。経済学だの政治学だの社会学だの法学だの、どちらかと言えばそれを学ぶことによって、少しでも世の中で起きている事を理解できるようになりたいと思ったわけであります。しかし、何だかよくわからないけど、大学生になってしばらくすると、自分と社会との間に何一つ繋がりを見いだせなくなってしまったのです。「社会」という言葉の定義から説教をされそうな言い草ですが、実感できないわけですよ。そりゃあ確かに社会と僕の間にはいくらでも繋がりはあるでしょう。あまりアルバイトはしませんでしたが、選挙にはちゃんと行きましたし、何よりもたくさん消費しましたし、そんなことではないかもしれませんが。ああそうだ、飲み屋でおっちゃんたちと話をすると、良し悪しは別として、これが大人であり、社会に出るとこんな感じなのかなあとかなんとか思ったりもしました。もうちょっと色々とあったような気がするのですが、僕はその程度の理由で徐々に社会科学に対する思いが薄れていきました。それでどうするのかといえば、これがダメならあっちはどうだといった具合に人文科学に傾倒していくわけでございます、ああなんと愚かなことでしょう。しかし、やってみたら確かにこっちのほうが肌に合う気がしてきましてね。本気で「作者の気持ち」を考え、勝手に共感し、やりきれない思いからか、はたまた芸術家の表面的な作法を真似てか、酒も煙草もたくさんやりました。女にはもてませんし、自殺を考えることもありませんでしたが、数年間何かにとり憑かれたように書物を漁りました。何かしらを創作している人たちとも知り合い、ああ僕にはこういう人たちのほうが付き合いやすいなあと思ったこともありました。仲間意識を持つことは決してありませんでした、というのも僕は何も創作しませんからね。そこには決定的な違いがある、なんてわかったような気分でいただけかもしれませんがね。これのどこが人文科学なんだと我ながら思いますが、そんなことを言い出せば僕は一度も社会科学すらしていない。それはまたの機会に書きたいと思います。それで、ついこの間気が付いたのですが、何だかこれまでのように本が読めないし、映画も絵画も観たくないし、興味が持てないのです。一時期は本気で「社会のために」なんて糞食らえだし、自分とその周囲の人、あとは自分の興味にだけ従って生きていきたいと思っていたのです。しかし、その興味が薄れてくるわけです。ああ所詮僕の興味は誰かの受け売りであり、そのネタが尽きただけなのだと思いました。僕自身からは何も湧き出てこないのですね。これは才能であり感性の問題ですね。じゃあやっぱりこれもダメかとなって、何だかまた社会に興味が湧いてきたような気がするのです。社会の一員として働きたい、この国を支えたい、世界で何が起きているのか知りたい、そこに携わりたい、といった具合に。僕は本当にどうしようもないやつだなと思うわけです。今までに何度もそんな謙遜をしてきたのですが、これに気が付いた時は本気でそう思いました。どうしようもないのです。この辺りでもう書くのは止めておこうとは思うのですが、まだ何となく書き足りない気もします。そうそう、どうしようもないなあなんて思うと、以前は心底自分に酔えたのです。僕はどうしようもないやつだというのはご存知の通り一つのファッションですね。それが今回はどうも違うような気がするのです。どうしようもないと思うのは、まあそうなのですが、それよりも自分にがっかりきてしまったといったほうが正しいかもしれません。そんなところです。これ以上書いても同じことの繰り返しでしょう、僕の頭の整理には良いことですが。

絶望

市民プールで食べた焼きそば

水やりを忘れた朝顔

夏バテ気味の飼い犬

おじさんが買ってきたモスバーガー

学校に忘れた絵の具セット

一つも判子が無いラジオ体操カード

じいちゃんの七回忌

友達のお土産

おばさんが送ってきた推薦図書

すぐに終わった自由研究

夏祭りの型抜き

母に預けたワークの解答集

ご近所さんがくれたとうもろこし

ばあちゃんちの蚊取り線香

 撤去された秘密基地

中止になったサマーキャンプ

TVゲームで兄弟喧嘩

屋根から見た花火

寝過ごした流星群

父と出かけた東京

転校した同級生

もう思い出せない諸々

ヤドカリ

デパート*1のペットコーナーに並べられたカブトムシを見て、何か思い出した。

 

保育園の最終学年だったか、同級生の男子がほぼ全員カブトムシを持ってくる意味不明なブームが発生した。

保育園のロッカーは、大人の腰くらいの高さでね。

そこの上に、男子どもが持参したカブトムシのケースがずらーっと並んだ。

あれ、今思えば「みんなカブトムシ持ってきてる!」という子供の強迫観念と親の見栄があーしてこーしてな。考え過ぎかな。

そりゃあ僕も焦った。

休み時間になると、みんなそれぞれのケースを持ち寄って見せっこしてな。

これがまたみんなカブトムシをとても大切にしていたのか、ケースから出すことは稀でね。只々、並んだケースを前にカブトムシ談義が弾むというね、批評会のような状況が続いたのだ。

僕も欲しいわなそりゃ。

しかし、当時はデパートで成虫を買ってくるなんて考えはなく、自分で捕獲するもしくは幼虫から育てることが言わば常識*2のようなところがあった。

これもまた忌々しいベッドタウンの宿命だろうか、カブトムシが捕れるようなポイントはありそうで無い、あっても子供だけで行くのは厳しい。

僕の親父はといえば、木に罠を仕掛けてくれるようなアウトドア派じゃないし、カブトムシなんかを捕まえて家の中で逃さないでくれよ派でね。夜中にケースの中で飛ぶ音も嫌がっていた、気がする。嫌だよね。

詰んだ、わけだ。

ダメもとで母に相談してね。

そしたら「これ、持って行ってみたら?」と玄関にあったケースを渡された。

ヤドカリ、だった。

なぜそんなものを飼っていたのかは知らないけどね。通販で買ったんじゃないかね。

普通は持って行かないよな、ヤドカリ。でも、その時は「みんなと同じ」にしたかった。

ヤドカリだから同じじゃねえんだけどよ。子供ながらに妥協したんだろうさ知らねえけどよちょっと思い出したら涙出てきた。

 それから、ずらーっと並ぶカブトムシの中にヤドカリを並べる日々が始まったわけだ。

最初に同級生がどんな反応をしたか全く記憶に無いのだが、イジメられることもなく、僕のヤドカリは極めてナチュラルにカブトムシの輪に入ることが出来た、んじゃないかな。

ここまで来ると意地というか執念というか、まあケースに入った生き物なら何でも良かったんだろうさそのブームに乗ることが出来ればね。

でも、あれ水でしょ。保育園児なんてふらふらしてるからね、ある日こぼしてしまったのだ。

そしたら、先生が怒ってね。そりゃそうだよね。そもそも、カブトムシを持たせる親にもイライラしてたんじゃないかね。

そこへ追い打ちを掛けるようにヤドカリだからな。

 その日を境に僕はヤドカリを連れていかなくなった。少ししてカブトムシブームも下火になったのか、夏が終わって死んだのかは知らないけど、みんな連れて来なくなったな。

 

その後、僕のヤドカリはどうなったのかな。忘れてしまった。

*1:地方都市では「デパート」、大都市圏では「西武」とか「パルコ」とか固有名詞で呼ぶのWHY

*2:また別の話だけど、買い与えられた同級生が馬鹿にされていたな。最近はヘラクレスなんちゃらだろうがなんだろうがBUY