社会科学に興味を持ったからには、就活生の常套句ではありませんが「社会のために」みたいな志があったわけです僕にも。誤解のないように言っておくと、社会科学が直接世のため人のためになるとは思いませんよ。経済学だの政治学だの社会学だの法学だの、どちらかと言えばそれを学ぶことによって、少しでも世の中で起きている事を理解できるようになりたいと思ったわけであります。しかし、何だかよくわからないけど、大学生になってしばらくすると、自分と社会との間に何一つ繋がりを見いだせなくなってしまったのです。「社会」という言葉の定義から説教をされそうな言い草ですが、実感できないわけですよ。そりゃあ確かに社会と僕の間にはいくらでも繋がりはあるでしょう。あまりアルバイトはしませんでしたが、選挙にはちゃんと行きましたし、何よりもたくさん消費しましたし、そんなことではないかもしれませんが。ああそうだ、飲み屋でおっちゃんたちと話をすると、良し悪しは別として、これが大人であり、社会に出るとこんな感じなのかなあとかなんとか思ったりもしました。もうちょっと色々とあったような気がするのですが、僕はその程度の理由で徐々に社会科学に対する思いが薄れていきました。それでどうするのかといえば、これがダメならあっちはどうだといった具合に人文科学に傾倒していくわけでございます、ああなんと愚かなことでしょう。しかし、やってみたら確かにこっちのほうが肌に合う気がしてきましてね。本気で「作者の気持ち」を考え、勝手に共感し、やりきれない思いからか、はたまた芸術家の表面的な作法を真似てか、酒も煙草もたくさんやりました。女にはもてませんし、自殺を考えることもありませんでしたが、数年間何かにとり憑かれたように書物を漁りました。何かしらを創作している人たちとも知り合い、ああ僕にはこういう人たちのほうが付き合いやすいなあと思ったこともありました。仲間意識を持つことは決してありませんでした、というのも僕は何も創作しませんからね。そこには決定的な違いがある、なんてわかったような気分でいただけかもしれませんがね。これのどこが人文科学なんだと我ながら思いますが、そんなことを言い出せば僕は一度も社会科学すらしていない。それはまたの機会に書きたいと思います。それで、ついこの間気が付いたのですが、何だかこれまでのように本が読めないし、映画も絵画も観たくないし、興味が持てないのです。一時期は本気で「社会のために」なんて糞食らえだし、自分とその周囲の人、あとは自分の興味にだけ従って生きていきたいと思っていたのです。しかし、その興味が薄れてくるわけです。ああ所詮僕の興味は誰かの受け売りであり、そのネタが尽きただけなのだと思いました。僕自身からは何も湧き出てこないのですね。これは才能であり感性の問題ですね。じゃあやっぱりこれもダメかとなって、何だかまた社会に興味が湧いてきたような気がするのです。社会の一員として働きたい、この国を支えたい、世界で何が起きているのか知りたい、そこに携わりたい、といった具合に。僕は本当にどうしようもないやつだなと思うわけです。今までに何度もそんな謙遜をしてきたのですが、これに気が付いた時は本気でそう思いました。どうしようもないのです。この辺りでもう書くのは止めておこうとは思うのですが、まだ何となく書き足りない気もします。そうそう、どうしようもないなあなんて思うと、以前は心底自分に酔えたのです。僕はどうしようもないやつだというのはご存知の通り一つのファッションですね。それが今回はどうも違うような気がするのです。どうしようもないと思うのは、まあそうなのですが、それよりも自分にがっかりきてしまったといったほうが正しいかもしれません。そんなところです。これ以上書いても同じことの繰り返しでしょう、僕の頭の整理には良いことですが。