冬季休暇の予定

上野から約三時間。ドアの開閉が手動に切り替わると、如何にも非日常に足を踏み入れたかのように思えた。開閉ボタンなどという代物はまだまだ都会の象徴だ。電車は「プシュ」と短い音を立て、まるで極度の緊張から解き放たれた人が肩をなで下ろすようにドアを緩める。それを自分で開けて乗り降りするわけだ。忘れて降りる人がいれば、軍手を二重にはめた老人が少し不機嫌にドアを閉める。私は自分が降りる時まで、この一連の動作を覚えていることが出来るだろうか。そう思った直後には、もう新たな非日常を窓の外に見出していた。各家の裏や勝手口の横には薪が積まれていた。しかし、それを除いては如何にもありふれた光景だ。大量生産されたパネルを数時間で組み立てたような住宅から、これまた飾りのような煙突が突き出ている。あれではサンタクロースも通れまい。暖炉のある家は、如何にも暖炉がありそうな家でなければならない。その如何にも暖炉がありそうな家とは一体何なのか。私はまた、一貫性に対する強い執着心が思考を停止させていることに気が付いた。徐々に住宅がまばらになり、頻繁にトンネルを通過するようになった。仕方なく車内に目を向けると、私の興味は部活終わりの高校生たちへと移った。サッカー部であろう男子はなぜ、皆同じようなネックウォーマーをしているのか。野球部であろう男子はなぜ、皆中年男性のように足を広げているのだろうか。テニスラケットを背負った女子が赤本を広げている。なかなか渋い大学を受けるもんだ。果たして各学年にはいくつクラスがあるのだろうか。車内の学生は全員知り合いなのかもしれない。彼らの多くは私の目的地の二つ手前で降りていった。

電車を見送ると、ホームには私と腰の曲がった老婆の二人だけが取り残された。年寄りの持つビニール袋は往々にしてしわくちゃなのは何故だろうか。改札に駅員はいない。持て余してしまった切符をペラペラと弾きながらタクシーを探したが、何処にもいなかった。仕方なく改札付近に戻ると、掲示板にはタクシー会社の連絡先が二つ貼りだされている。その土地の名を冠した方にしようと思ったが、電話番号が擦り切れて読めなかった。仕方なくもう片方に掛ける。こちらが「もしもし」と言う間もなく「駅ですかね?」と気怠そうな声が聞こえてきた。宿までは二十分程であったが、妙にその土地を卑下する運転手に好感は持てなかった。膝をついて出迎える宿の女将に、その日一番の非日常性を見出したような気がした。夕食までは二時間程あったので、他にすることもなく風呂へと向かう。平日であるためか、私以外には誰もいない。他に宿泊客がいるのかすら怪しいような気がしていた。それにしてもあの、お湯の効能を解説するパネルは必要なのだろうか。神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、そして疲労回復。お湯の効能ではなく、湯に浸かる効能ではないかと思いながらも、他に景色という景色もなくそれを眺め続けた。ロビー(旅館の場合、ここは何と呼べば良いのだろうか。受付、ラウンジ、広間)へ戻ると、小さな本棚が目についた。その土地に縁のある文学を揃えているようだ。文豪気取りと思われないだろうかと急いで浴衣の袖から手を出した。受付で「自家焙煎」コーヒーを注文し、火鉢の前に席を取る。火鉢の上に置かれた、急須とヤカンの中間のような物体の名称が思い出せず、不本意ではあるが携帯電話を取り出した。なんだ「土瓶」か。携帯電話での調べ物は、何故これほどまでに無感動なのだろうか。答を知った途端にどうでも良くなってしまう。コーヒーを持ってきた女将に、到着した時のような愛想はなかった。湯加減でも聞いてくれたら良いだろうに。自慢のコーヒーに植物性のフレッシュを付ける、そのいい加減さが妙に気に入った。何事も難しく考える必要はないのだろう。プラスチックのステアを折れない程度に曲げては放し、手の甲に打ち付けた。しかし、コーヒーと和菓子の組み合わせは好きになれない。何だろうかあのコーヒーの酸味を限界まで引き出そうとする食べ物は。和菓子には手を付けず、浴衣の袖から煙草を取り出した。相変わらず私の他に客はおらず、煙草を吸うには有難いことだった。

特に驚くべきことではないが、夕食のメインは刺し身だ。しかし、遠く内陸の土地に来てまで刺し身を食べたいと誰が思うのだろうか。一切れのサーモンはどれほどの距離を経て今、私の目の前にあるのか。「サーモンは獲れて直ぐに冷凍するんだよ。それで寄生虫を殺すんだ」北海道の漁港で、見知らぬおやじから聞いた話を思い出していた。川魚と山菜の天ぷら、こういうところにこそ「自家栽培」の野菜が欲しい。土地の食べ物がなければ、土地の酒を飲むこともないだろう。日本酒はあまり好きではない。小さなベルがお櫃の隣に置かれていた。人をベルで呼びつけるのは何だか気が引けるが、よく考えれば居酒屋でボタンを押すのと然程変わりのないことだ。「ビールは何ですか」答はわかっているが一応尋ねる。「ヱビスになります」ちょっと贅沢な旅に相応しいだろう、と言わんばかりの恵比寿様の得意気な顔が癪に障る。結局、ビールも半分ほど残し部屋へ戻ることにした。かばんから文庫本を取り出しぱらぱらとめくるが、はなから読む気はなかった。自宅の本棚からこれを選んだ時の気持ちを思い出そうとしていた。冬、山、温泉、旅館、電車、似つかわしいものを選ぼうとしただろう。一方で、その本を読む自分の姿を客観的に想像したはずだ。私にとっては結局、後者が全てだ。あらゆるものを振り切ろうと出掛けたは良いが、自意識だけはどうにもならない。自意識過剰に効く温泉はないだろうか、無意識の内にまた携帯電話を取り出していた。検索をやめ、飛行機モードに切り替える。眠くはないが、布団に入った。旅先でシーツとシーツの間に寝るのは嫌いだ。清潔なのは有難いが、どこか不自然な気がしてならない。ビニール手袋をした手で握られたおにぎりのような感じだ。まったくひどい例えではあるが。ああ、もう帰ろう。朝食を食べたら観光もせずに帰るんだ。突発的な行動をする自分に酔い始めたのか、真面目にホームシックを発症しているのか、この際どうでも良いのだ。