ナーバス

「君が大学で学び、研究している分野のソーシャルインパクトは何?」
「そんなものはない。ソーシャルインパクトとか洒落た言葉を使うなおたんこなす」

学部や修士を終えたレベルでこの分野が金になるとははなから思っていない。
かと言って博士に進んで研究者になるつもりもない。(とんだ自惚れ屋ですな!)
そういった意味では、ソーシャルインパクトなど考えたこともないわけだ。(それは甘えですな!)
尤も、金と所謂社会的意義はイコールではないわな。勿論、その分野は社会の役に立つ。
結局は何が言いたいのか、僕は自分が面白いと思った、気になった事を自分の気が済むまで勉強してみたかっただけなのだ。

しかし、たとえゆるふわ修士でも、研究をする以上は何かしらの「意義」を見出す必要があるらしい。
誰も読まない修士論文に、それが社会の中でどのように位置づけられるのか、考えなければならないのだ。
まあ、そんなものはちょっと考えればいくらでも書ける(はず)。問題はそこじゃないんだな。

建前と本音じゃないけど、僕にもそういった柔軟さが必要になってきている。
「好きだからやっているだけだ、お前に何の関係があるゴートゥーザヘル」とは言えない場面が増えた。

話は戻って「ソーシャルインパクト」だの「何の役に立つのか」だの「金」「金」そして「金」
「ねえ、それって何の役に立つの?」とこれまでに何度聞かれただろうか。
「何も。何の役にも立たないよHAHAHA!」と言って上げるのがマナーだ。
聞く方もその答えを知っているし、待っているのだ。
そういった悪意に疎かった頃、居酒屋で必死に語った。

思い出すだけでムズムズするのはなぜだろう。
「肩の力を抜けよ」という言葉が聞こえてくる。